ぐるぐるあたま

フリーのコピーライター。10歳女児お母さん。モヤモヤと考えがちな私のノンジャンルブログです。過去ブログはこちら→ http://toma31.at.webry.info

人は見たいようにしか見ない。聞かない。という話。

Facebookに、絵本作家の「のぶみ」さんのコメントがあがってきて、
思い出したことがあります。

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何年か前の、お正月くらいしか会わない兄との対話。
「お前がやせたのは、お母はんのお陰やな」と。

そう中学生ぐらいまでは肥満でした。
(ま、今は肥満に戻りつつありますが)
このままではいかん!と、コンプレックス満載の私が
ダイエットに励んだ高校生時代。
1年ほどで15キロ以上は減らしたと思います。

まず、食べる量を減らし、
お腹が空いたら自分でリンゴを買って、
半分を細かく切って食べごまかし(少しでも多く見せて脳をだますため)、
腕立て伏せ&背筋と腹筋、ウエストねじり体操などをし、
犬の散歩は、犬が「もうおうちに帰りたいです」というくらい
歩き倒し(2匹いたので、別々に2回)。
汗をかくのがよいと言われていたので、
体にラップを巻いて寝たり半身浴をしたり…

という、努力があっての減量なんですよ。
母のお陰だけではない。

おっさん(兄)、何言っとんねん!と、
その時はカツーンと頭にきながらも
最初は冷静冷静にと自分に言い聞かせて
誤解を解こうと話をしました。

私「父が病気やったから、確かに家の食事は脂分少なめやったけど」
兄「そやろ。それでやせたんやろ」
私「違うって。私、あの時はほとんど食べへんかったし、運動もしてたし」
兄「運動っていっても、そんなにはしてへんやろ」
私「犬の散歩とか、犬が参りましたっていうくらい、
 別々に2匹散歩して、プラス運動も結構してたよ」
兄「そんな~(お前にそんな根性あるか…的な)やっぱり、お母はんやろ」

で、私、ぷちん。
「知らんくせに、知ったようにいうな~~!!!!!
 そんな食事がちょっと変わったくらいで15キロも痩せん!」
で、エンド。

ま、「キレる」に耐性がないときなので、速攻キレました(笑

母と兄でどんな会話をしたのかは知りませんが、
母は「自分が最高!」ということをアピールしがちな人でしたし、
兄は兄で「お母はん、最高!」って人だし。

ほんましゃーないな!しょーもな!
とか、兄に対してイライラしたんですね。
※「どうしようもないですね!くだらない!」って意味です。
母に対しても、なんで勝手に自分の手柄にしてるねん!
という思いも、もちろんありました(笑

のぶみさんのコメントで、この話が蘇ったのですが
男が女が、という訳ではなく、
結構、人はものごとを「見たいようにしか見ない」のでは
ないかなと思いました。

なぜ、そういうことをするかというと「自分のために」。

自分の今の思いやこだわりを肯定するために、
「見たいようにしか見ない」傾向。

もう少し、自分ごとにあてはめてみますが、
私は、何か悲惨な事件のニュースをみると、
その出来後について抱え込んでしまう傾向があります。

古くはコンクリート詰め殺人に宮崎勤
神戸の少年A事件とかね。

自分とは関係のないところで起こった事件ですが
ニュースを見ると、皆さんの同様にかなりの衝撃を受けますし、
その思いを「自分なりの解釈」で
ちょうどいい所に、心の収まりのいいところに
収めようとするんです。

んで、何でそんな事件が起こったんだろう?
なんでその人は殺されたんだろう?とか。
マスメディアの報道そのままを資料にして、
結果もだせないまま、グルグルと考えてしまうんです。
何日も何日も。

そんな時、読んでいたエッセイ集で
こんな風な言葉に出会いました。

「どんなに残虐な出来事が起こっても、
 それは自分以外の出来事で、それを探ることはない。
 訳もわからないまま、犯人の“追体験”をすることはない」

要は、「犯人のことは、ほっとけ」ってことだと
その時の私は解釈したのです。

これは、私にとって救いのような言葉でした。

わからなくていい。残虐な犯人のことは。
ただ、犠牲となった方に悲しみの思いを寄せればいい。

こういう思考を持つことで、
残虐な犯罪が起こっても、以前より少しは
気持ちの整理が付けやすくなったと思います。

この「犯人のことはほっとけ」を覆す本との出会いがあるのですが…
それはまた後日で。